自分以外の人を
幸せそうだと思ってしまう。
となりのしばふは あおい。
幸せだねって言われたら
そうではない。って
幸せそうではないねって言われたら
そうそうそんなこと言って来る人はいないんだけど
何だか少し腹が立って
そんなことはない。と。
それが人の心。
逆を言われると
その反対を強く言いたくなってしまうから。
幸せなんて
その人が感じるものであって
他人からみて
評価されるようなものでもない。
どう見ても
不幸せだよな。あの人。
って思っていたって
当人が幸せって思えたら
それでいいのだ。
縛りについてだって
同じことが言える。
教えて貰った人に
マニュアルに沿って覚えてゆく。
はじめはそれでも
全然構わないと思う。
どうして?
なぜ?
って疑問に思うことや
自分で考える力がないと
その縛り方はマネでしかない。
自分らしさの縛りを
私は見つけてゆきたい。
私にしか出来ない縄を。
だから
人それぞれの考えがあって
縛り方も人それぞれ違う。
これは駄目。
やってはならぬこと。
邪道な縄だと言われても
本人がそれを分かって
知ってかけるのならば
いいと思う。
知らないで縛る方が危険だ。
部屋でも
色々な方が遊びに来てくれる中
私なりの考えの縛りを教えているのですが
それはしてはいけない。
と言われるのは
不思議に感じることがあるの。
否定されて
またそこを考えさせられる部分でもあるので
人の意見はとっても大切に思えるんです。
縄談義したひ♪
壁に当たっては凹んでしまうんだけど
また縛りたいと思えてしまうのは
何故なんだろう。
縄の魅力って
不思議な魔力が取り纏てる。
そこに足を踏み込むと
戻ってこれなくなる。
縄=sex
そうであって
そうでないものが
気持ちいいんだよねぇ。